昭和生まれの寿老人

チクリ、チクリと社会風刺を取り交ぜ是々非々を論じます。

父に歌った子守歌

 最近は父母の夢をよく見る。明治に生まれ80才
を超え30年前の平成3年に他界した父は、波乱万
丈な人生を送った。


そんな父が、老人介護施設の中で足を滑らせ大腿部
を骨折したと実兄から連絡があり、緊急入院した外
科病院に急いで行った。
連絡をくれた兄は、父の日用品、身の廻りの物等を
取りに帰った。
その僅かな時間の出来事であった。

手術が終わり痛々しい姿の父がベットに寝され病室に帰
ってきた。目を開けることなく顔色も悪い。
父の年を取ったシワシワの手をそっと握り、無言の時間
頭を過る事は、父にはあれや、これやと迷惑ばかりを掛
けた。それを思うと目頭が熱くなり涙が流れる。


幼い頃、父から、そして母から、よく聞かされた子守歌
それを父の耳元で静かに歌たった。
「ねんねんころりよ・・・・」
聞こえているのだろうか、父は私の手を強く握り、目を
開けることなく、その子守歌のとおり深く眠った。


そして、そのまま息絶え帰らぬ人となり、母の下へと逝ってしまった。
ほんの一時の出来事、魔訶不思議な事であった。


酒がこよなく好きで、将棋が大好きだった父。
今頃は先人と酒を酌み交わし、将棋に明け暮れる日々を送っているだろう。
先に逝った母と二人で仲良く、私たちを見守ってくれているだろう。

中国新聞 桜を見る会

 令和元年12月6日付けの中国新聞(本社=広島市 発行部数=61万2272部)
中国地方選出戦後の内閣総理大臣 秘書らが「桜を見る会」を巡り中国新聞の取材に応じた。多くの首相秘書は「当時の首相には大きな推薦枠は無かった」と証言した。


安部晋三氏の大祖父、故 佐藤栄作元首相 秘書
「安部首相のような大々的な支援者の随行は記憶にないし、首相枠の存在も知らない」と話す。


故 宮沢喜一元首相 秘書
「首相の推薦枠は確かにあった。取り立てて大きな功労、功績がない人でも招待できた。
 宮沢事務所から各地の後援会に枠を割り振っていた」ただし、安部氏のように「桜を見る会」前夜祭や都内観光を組み合わせたツアーまでは行っていなかった。
また「首相夫人の推薦は当時無かった」と述べ。
首相推薦の規模について、宮沢氏の元支援者が「招待者は100人から200人もおらず80人程度だったと話す。


故 竹下登元首相 秘書
「地元から招いたのは5組ぐらい」


故 橋本竜太郎元首相 秘書
「総理枠なんて知らなかった」と語る。



各人各説が真面なご意見であろうと思う。それに比べ安倍さん、少々やり過ぎではないでしょうか。
上記は中国新聞の記事から抜粋し転写したものです。